ちょっと大きめの旅:出発~岡城(竹田)編

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御城プロジェクト~CASTLEDEFENCE~

4月2日早朝。

かねてからの計画通り、大分へ一人旅をすることにしました。
ルートとしては阿蘇方面から竹田市、臼杵市を経由して大分市へ。海沿いを北上し別府を経由して杵築市、中津市へと移動……
という辺りまでは決めていましたが、その後はどうなるものか。
時間に余裕はあるので途中での変更などは全く問題なし。
ですのでのんびりと出かけることに。

朝がそれなりに早かったので開いてる店がコンビニくらいしかない。
とりあえず飲み物やおにぎりを補充して……

県北から阿蘇方面へ行くとなれば、菊池方面から向かうことに。
このところは寒暖の差が激しく、特に朝晩はそれが顕著。
熊本県内でも雪国である阿蘇地方を移動するときはそこが心配。

通りかかってみると……

し、白い……
晴れていたし日も出て時間が経っていたので、路面が凍結していなかったのはよかった。
一応それを考慮しての日取り……ではありましたが極端に気温が低かったりするとやはり危険なので、冬季に阿蘇へ行く方はお気をつけください。

大観峰……へちょっと寄る。当然奥(土産物屋とかがある)までは(ゲートが下がっていて)行けない。
しかし他にも数台車がある。景色を見に来る人もいるのかもしれない。

さてさて、それはそうと無事に阿蘇も越えられたので岡城のある竹田市へ向かいます。
結果的に8:00過ぎでしょうか。早朝とはいえない時間ですが岡城に到着。

さて、岡城に入るには入場料が必要です。一人300円。
ですが、この時間だと早すぎて券売所も開いていません。
仕方が無いので先にお城の見学を済ませ、後で払う事にしましょう。

朝日のなかを登城します。
岡城は山の上ある、いわゆる「山城」です。
御城の詳しい説明などは省きますが、残っている部分だけでもかなり険しい場所にあります。

過去に九州を制覇するべく北上してきた島津の大軍を防ぎきり、岡城の名前は天下の名城として轟いた、と説明にあります。

券売所側の登城口から登っていくと、大手門と西ノ丸がある方面から行くことになります。

大手門から入り、西ノ丸側を見てみるとこんな感じ。当時は門もあったわけだし西の丸の建物が見えたのかは解りませんね。
さて、どちらから回るか悩みました。城跡の残っている部分は縦長で、ここは言ってみれば南の端。
ですので一旦まっすぐに北の端を目指した後、戻りつつ西の丸方面を見ることに。

ご覧のように急な石垣。なかなか高い山の上に建っています。ここに城を作ろうと思った発想がすごい。
二ノ丸に行くと……

滝廉太郎の像があります。
「荒城の月」のモチーフとなったのは、当時の荒れ果てていた岡城だという説(諸説あります)があり、その縁でここに像があるようです。

二ノ丸には綺麗なトイレがありますので、休憩するならばこちらでしょうか。ただし登城口の料金所が開いていない場合はトイレも開いていないかも?この時は利用しなかったので解りません。
あと、飲み物は事前に準備しておいた方が良いです(ごみは持ち帰りましょう)。

二ノ丸にあった櫓は本丸と繋がっており、(当たり前ですが二ノ丸の方が本丸より低い場所にある)内部にある階段を通って上がれたようです。(現在はトイレがあるところ)

建物はさておいて、古い階段を通って本丸へ登ります。

その後は本丸にある神社でお参りし……一旦本丸を降りて反対側の端まで向かいます。
天気もいいし、桜も咲いている。眺めもいいので最高ですね。
九重の山や祖母山なども見えます。

その後は北の端にある下原御門(ここでも清正公の名前を見るとは思わなかった)まで歩き……

戻ることにします。

門のちょっと先に気になる階段があったのでそばまで行ってみましたが特に遺構などではなかった模様。
折角なのでその辺りから御門を撮ってみました。

その後はうろうろしつつ西の丸方面へと戻ります。観光でいらしている方も見かけはじめました。

西ノ丸。基本的にはこちらが政治などの中心だったようですね。
かなり大きな建物が建っていたと思われます。階段も豪華だ。

それらしいものは何もなかったお稲荷さん。
どれくらい滞在するかなどは全く決めていなかったのですが、結果的には2時間ほど敷地内をうろうろしていた模様。

降りてきた後できちんと観覧料を払いました。

岡城はこれにて終了。竹田の街中も見回ってみようかとしばらく走り回ってみたのですが、いい駐車場がない。
平日とはいえ飲み物を買っただけのスーパーに車をずっと止めておくのもあれだし……

結果的に川沿い(稲葉川)のところに観光客用と書かれた駐車場を発見したのでそちらに止めることに。
上でも書きましたがこの町は滝廉太郎が少年時代を過ごした(親の仕事の関係で竹田に居た)事を触れられていますが……(写真は資料館になっている瀧邸)

実際に暮らしていた期間はそんなに長くはない(年単位ではあります)ようです。
なので荒城の月のモチーフになったという場所の候補もいくつかあるみたいですね。

まあ野暮なことは言わず、各所で見た荒城の印象をまとめたものが荒城の月という歌で表されたのかもしれません、ということで。

マップを後で見返すと、もっと歩き回っても良かったのかなあと。
しかし桜祭り当日に来ていたら交通規制などでかなり混乱していただろうと思われるので、そういう意味では空いている平日で良かったと思いました。

……さて、岡城ではかなりの写真を撮ったのですが、流石に全てアップするわけにもいかず。
圧縮ファイルにしてもかなりの容量なので今回はGoogleのフォト機能を使用してみようかと思います。

画像が見たい方はこちらからどうぞ。

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