と、いうわけで吉野ヶ里を出て次にやってきたのは太宰府。
その前に水城に寄っていこうかと。
水城(読みは「みずき」)、というのは過去に行った鞠智城、これから行く大野城などと並んで西の政庁である太宰府を守るために作られた古代山城のひとつです。
道順的にも水城の方が近いため事前に……と、ここで問題が発生。そもそも目立った観光スポットというほどでもなく、周りには鉄道が走っていたり住宅地であったりという理由などから車を停めておけるスペースがなさそうだ……
駅の傍には100円パーキングがあるもののこの時間は全て埋まっており、辺りを少し走ってみましたがどうにもよい場所がない。
というわけで今回は残念ながら前を通りかかっておしまいということになりました。またいつか。
それでは改めて太宰府方面へ向かいましょう。
太宰府と言えば太宰府天満宮を思い出される方が多いと思います。勿論行く予定ですがまずは旧太宰府政庁後を目指しましょう。
菅原道真が京から追われて太宰府へ。地図上で左にあることから左遷の語源となったという説を聞いたことがありますがあれは正しかったのか。
腹が減ったなあなどと思いながら、太宰府前を一旦通り過ぎ。ちょっと考えて先に山を登ってみることとしました。
太宰府の裏側の山に大野城がありますのでまずはそちらから尋ねるとこにしました。
ただ……同じ山(今回の道順から言えば大野城よりも手前)に岩屋城があります。
岩屋城、というお城は古代の城ではなく中世のお城で、当時大友家家臣であった(後の)立花宗茂の実父、高橋紹運が数百名の兵を率いて数万といわれる島津軍に徹底抗戦、玉砕したと謂われております。
通り道でもありますしこれは行くしか。というわけで……
やって来ました。道の途中に登り口があります。
駐車場はありませんが周辺の道路に多少広くなってる場所があり、2台くらいなら停められそう。
長居する感じでもなかったので今回は停めさせてもらって登ります。
ちなみに登り口から本丸はすぐ。山登りというほどのものもなく辿り着きます。
すると……
めちゃくちゃいい景色がそこに。
ここまで景色がいいとは流石に思っていませんでした。
この後降りて訪ねる予定の太宰府跡。かの高橋紹運もこれを見ていたのでしょうか。
今回は時間の都合で行きませんでしたが博物館なども見えますし眺望はとにかく素晴らしいの一言。
飛行機の離着陸なども見られますしなかなか凄いスポットですね。
弁当でも持ってきてのんびり食べてもいいのかもしれない。(ごみは持ち帰りましょう)
さて予想外のすばらしい景色に感動していましたがそろそろ行かないと。
一旦登り口まで戻って、道を挟んだ側からは二ノ丸跡へ降りていくことができます。
こちらには高橋紹運の墓所があり、静かな中でお参りさせていただきました。
と、いうわけでクルマに戻り、もう少し登ります。
少し登ったところに入り口のあるこちらが大野城。
岩屋城からの画像でわかるように見えるほど近く(要は山の麓)にあった太宰府を守るためのお城。
中世の城のように必要な曲輪や施設がギュッと詰まった感じではなく、ある程度広々とした規模の敷地が取られているという感じ。
芝生は養生中でした。
歩き回りすぎてしまうと時間がかかりすぎる気がしたので今回は触り程度な感じに周辺を見て回りましたが……
やはりこの感じ、どことなく鞠智城を思い出しますね。
鞠智城にも最近は行けていないのでまた行きたいなあ。
ここも隅から隅まで回ろうとすると結構時間がかかりそうだ。
それでは下山……使用とクルマに乗り込んだところで違和感が。
新しいクルマのステレオにはBluetoothで音楽を飛ばせるため、スマートフォンから音楽を飛ばしていたのですが……鳴らない?設定はおかしくないみたいだし一体何が……?
とまあ考えていても解決しそうになかったのでここは切り替えて太宰府跡へ。
一応京都からの出向機関であったらしいですがそれなりに権力はあったらしい太宰府。
にわかに空も陰ってきてちょっと肌寒い感じに。
入ってみると人もちらほらと。観光というよりは近場の人が憩っている感じにも見えた。
風が吹き抜けていくのもあり気持ちいい反面、こんな感じだと寒くなってくる。
礎石跡は嫌いじゃない。
さて、中心から入り口を振り返ってみてみれば……
この中央からそのまま出ていくと道が真っ直ぐ走っている(つまりこちらを突き当たりとしたT字路になっている)んですよね。恐らくですがこの道って当時に作られた物なんじゃないのかなと思うんです。
古代の人も通ってた道なんだろうな-、と、普段いちいち意識することはないですが改めて考えるとやっぱり凄い気がします。
さて、それでは太宰府に来ているし折角だから天満宮にも寄って帰りましょう。
次回の天満宮編で終了となります。